院長 越智 義之
はじめまして、「ぎの整体」の越智義之です。
まず初めに整体院を運営するに当り心掛けている事を紹介させていただきます。
「治してなんぼ!」この一言に尽きています。
私の手技で本当に治せているのか?
お客さんは満足されているか?
治せない整体に意味はあるのか?
その事をいつも心掛けております。
何度も通った挙句、良くならなかった・・・
「私のこの症状はもう良くならないのか?」
このような方の少しでもお役に立ちたい!
私自身が事故や怪我で体を壊し
さまざまな治療院に通いましたが
殆どの治療院は言葉ばかりで
本当に良くなるまでには多くの治療院を渡り歩きました。
そして、出会ったのが骨格矯正と言う手法でした。
事故により胸椎・頚椎にゆがみが生じ
そのため、腕が上がらない、頭痛がする、腰痛に悩まされる・・・
さまざまな症状がありましたが
骨格矯正およびストレッチで良くなった経験や
多くの方との出会いから、この仕事に付く様になりました。
自らの体の不調の経験からお客さんの辛さも解ります。
腰痛、肩こり、さまざまな症状がありますが
その原因がどこにあるのか?
それを見つける事から私の整体は始まります。
骨格の異常はなぜ、どこから来たのか?
普段の姿勢から?
事故や怪我による後遺症なのか?
筋肉の緊張から来ているのか?
それさえ見つかれば改善への道は開かれます。
「ぎの整体」の整体は本当に治せる整体技術を
目指し、今の手技にこだわることなく、
良いと思うものは取り入れながら、
これからも日々研鑽していきます。
子供の頃から映画が大好きで、いつしか外国で生活したいと思うようになり中学卒業後、船乗りになれば外国にいつでも行けるととっさに思いつき、
普通高校の受験申し込みもしておりましたが、急遽、船乗りになることに目覚め弓削商船航海科を受験し合格し船乗りを目指しましたが、入ってみると「思ってたんとちゃう?」と3年で辞め、
「生活は自分で稼ぐから」と親を説得?東京へ大学受験を目指し上京、新聞配達をしながら予備校へ通い、第一志望第二志望の大学は不合格でしたがどうにか東洋大学に合格。
外国に行くには日本語の勉強をもっとやってからだと文学部に入りました。
ここからがちょっと外れてしまうのです…
男子校の全寮に3年間押し込まれ、新聞配達の予備校時代はまさに暗い生活だったのが、大学に入ると東京のかわいい女の子がいいっぱいいる世界へ通いだすと、まさに夢のような生活が始まり毎日が楽しくて楽しくて、毎日誰かに「付き合ってくれ?」と愛媛の言葉で告白し、ふられるというおバカな毎日を送ってました・・・
そんな中で、二十歳を迎える日にふと自分を見直し「なんと愚かな毎日を送っているんだ」と反省し、旅に出ることにしました。なぜか向かったのは東北。
上野発の夜行列車に乗って青森を目指し、津軽半島の竜飛崎から見た北海道にあこがれ、その夏には北海道へ向かう…
北海道の牧場でひと夏を過ごし、「俺の人生はこれだ!」と思い、帰京後はバイトをしながらどうにか大学を卒業、
卒業後はやはりちゃんと就職をせねばと思う気持ちもありましたので、小さな商社へ就職。毎日部屋へ帰るのは11時過ぎ、それでもこれが社会人なんだろ頑張っておりましたが、ある日動けなくなり、要はぎっくり腰でした…
それでも、仕事は休めず書類を部屋へ持って帰り顧客への電話や工場への電話と動けないまま電話だけの仕事をしておりました。
ある日、病院の帰りに買った雑誌に「北海道の牧場で働きませんか?」という広告が目に飛び込んで来て、面白半分で電話をし面白半分で栃木那須の本社まで面接に行き、上司にその話をすると「お前はバカか!」と一蹴され、それで心に火がついてしまい半年後に辞表を提出、
親には「北海道に転勤になった。」と嘘をついて平成元年に北海道の牧場で働き始めました。
その後、牧場の仕事が楽しくてたまらなくなり、元来好きな事だけは一生懸命勉強しますので二年後には家畜人工受精師の資格を取り人工受精師として毎日30頭から40頭の牛に種付けをしておりました。
ただ、仕事中の不注意やらでけがや事故、アレルギーを発症したりで牧場の仕事が出来なくなり、最後は大事故を起こし牧場の仕事を断念しました…
その仕事や昔からのけがの影響で体がおかしくなり、いろんな病院から接骨院、カイロ等々通いましたが一向に良くなりませんでした。
ある時、帰省した折に妹から「ちょっと変わった先生いるけど行ってみる?」と誘われ、地元の田舎の一軒家のところへ連れて行かれ、その先生に診てもらうと腕が上がるようになり口も開くようになりました。
ただ、痛いってものじゃない?それでも、帰省すると先生に診てもらうようになりました。
ある日、妹より電話で「母ちゃんが倒れた。」って電話があり、急遽帰省。母は命は取り留めたものの動けずしゃべれず、ICUを出たり入ったりで北海度へ帰ることができない日々が続き、今治へ帰ることを決めました。
その時は40歳を超えておりましたので、なかなか北海道でしていたような特殊な仕事がなく、思い出したのがあの整体の先生「弟子をとってるみたいよ?」って言葉で弟子入りし、それから毎日通い二年後に開業となった次第です。
ちなみに、ぎの整体の名前の由来は当初「創快療術院」という名で出張専門で行っておりましたが、開業するに当たり妹から「ぎの整体にせんけん?」とアドバイスされ決定したのです。
ぎのは義之の音読みで小学校からのあだ名です。
その後、バキバキ系の整体を続けておりましたが、「よくはなるけどバキバキされるんが怖いんよね?」よく言われ、勉強するうちにバキバキしなくても骨格調整できる主義はあると知り、大阪・東京へと勉強に出かけました。
オステオパシーから始まり、パーフェクト整体とより細かな手技を取り入れてきましたが、
一回でよくなる人もいればなかなかよくならないに人もいる?
中には、どこから手を付ければいいのか原因はなんなのか全く解らない方もいる?
這うだけで動けない人、様々な方が来られるうちに骨格調整だけでは治せない人がいっぱいいる事を知り、調べるうちに原因は骨格のゆがみだけではなく、頭蓋事の歪みや内臓の変位から来てることが多いと知りました。
昨年より、国際整体協会の和整体塾に入塾し研鑽を重ねてまいりました。
この技術では今まで治せなかった症状に幅広く対応できるようになりました。
アトピー、不妊症、マタニティー整体、子供の発育不全、更年期症状etc
腰痛や肩こりでもどこにいても良くならなかった症状は原因は肩や腰にあるのではなく内臓や頭蓋骨のゆがみにあり、それを調整することでそれに伴う症状まで改善できるようになりました。その他、様々な症状に対応できるようになりました。
また、和整体の技術の効果の範囲は無制限にありますので、手技の範囲が広くなったことでこれからもより多くの方のお役に立てようにさらに技術や心の研鑽を重ねて向上して行きます。
これからもぎの整体をよろしくお願いします!
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